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散骨についての考え方 ★散骨・粉骨の仕方・・・・・・お墓参りは4代続かない。 庶民の墓守は4代続かない。個人を偲ぶため高額のお墓を手にいれても、納骨堂にお骨を納めても、果たして墓守をする親族が4代続くことがあるだろうか。4代続くことがあれば日本国中お墓に埋め尽くされるだろう。寺院や霊園にお墓の所有者と連絡がつかないまま放置されたお墓がどれだけあるだろうか。墓納め、墓仕舞い等を親族が果たしてしてくれるのだろうか。遺骨の引き取り手がいない、遺骨を供養してくれる人がいない、遠方にあって放置したままで手入れが行き届かないお墓をどのようにすればいいのだろう…等、高齢化がどんどん進むに連れて、これから先の大きな社会問題になってくるのではないだろうか。 自然に還る、土に還るが人生の終括(終活)であろう。 「NPO法人種蒔く人」は、火葬後の遺骨を粉骨(パウダー状)にして故人の愛した、郷里の野山、海の見える丘、広い海等に散骨することを事業としています。 供 養 す る 心 は 美 し い お墓も、お仏壇も要りません。でも、供養する心は美しく尊いものです。 供養をどのように表現するか。人それぞれ違っています。 あらゆる宗教、宗派によって考え方も、表現方法も違っています。 「NPO法人種蒔く人」は死後の世界は宇宙の一部であると考えます。粉骨し散骨することを環境功徳と考えます。それでもお遺骨の一部を家庭に受け入れ故人と共に過ごしたいご家庭には「憩庵 keian」をお勧めしています。 「憩庵 keian」とは伊万里焼骨壺のことです。(商標登録済み) 散骨百物語 ①40歳になってからジョギングを始めた。それは、天草パールラインマラソンの参加資格が40歳以上だったから。ジョギングコースは自宅近くの運動公園。一周5キロ。適当な起伏と樹木に覆われているコースは陽射しの強い夏日でも軽やかに走ることができた。 コースに沿って、大楓、夾竹桃、アベリア、クチナシなど多種類の樹木がジョガーに癒やしを与えてくれる。樹木の内側には、野球場、ソフトボール、ラクビー、テニス、サッカー場等数多いスポーツを愉しむ施設がある。 20年以上に亘ってこの運動公園を愛してきた私が、心房細動の手術カテーテルアブレーションをしてから、いつか訪れるだろう死について考えるようになった。天国や極楽があるかどうか。死んだ経験のない私には分かりません。でも、私の命が子や孫の命の繋がりであることには間違いありません。私の往生、死後の世界は開かれた世界であることを願い、妻や家族には、私の死後はお墓に閉じ込めるのではなく、何千回とジョギングを愉しみ、こよなく愛した運動公園に散骨してくれることを希望している。 ②佐賀県唐津市に産まれた僕は、大阪の大学を卒業してそのまま大阪に住み着いてしまった。父母からは、唐津に帰ってから佐賀県内に就職を見つければと、しきりに言ってくれたがその気はない。 今、父母が亡くなったあと、実家には妹夫婦が住んでいるが、法事や親戚の結婚式ぐらいしか唐津に出向くことはない。 小学4年生の娘と2年生の娘を連れて唐津に旅行することになった。そのきっかけを作ったのは娘であった。会社から戻った僕に、待ち構えていたように「お父さんの産まれた故郷にはお祭りはあるの」と問いかけてきた。授業で大阪や京都の祭りを学習したらしい。「勿論、あるさ、唐津くんち」それからひとしきり、宵山、お旅所神幸・町回りの曳山の話に夢中になってしまった。 このことをきっかけに家族4人で唐津に行くことになったのである。それからのことだが、鏡山の展望台から虹ノ松原と玄界灘を臨んだ風景が大阪に戻ってからも頭から離れることはなかった。まだ、妻には言っていないが、火葬後の骨を粉骨にして虹ノ松原が見下ろせる場所に散骨することを遺言にしようと思っている。 ③長野県飯田市鼎に住む僕は、小学生、中学生、高校生と紅葉の季節と元日にはかざこしやま(風越山)に登るのを欠かしたことがない。大学生活を東京都内で過ごすようになってからは、帰省した時に初日の出を見たのは4年間だけであった。東京に本社がある会社に就職したが、最初の勤務地は福岡市であった。福岡勤務が5年。次の勤務地高松市も3年になるが、独身の気ままさも手伝ってか数度しか帰っていない。しかも仕事のことが頭から離れることはなく、風越山に登る事を思いもつかなかった。その僕が結婚して、仙台市、東京本社と転勤を続けた。現在家族は5人。既に父母も亡くなり、飯田市にあるお墓には数年お参りをしていない。お寺にはお盆の時に供養料を送る程度で申し訳なく思っている。妻に実家の新潟では長男が墓守をしてくれている。妻の勧めもあり僕の祖父母、父母の墓仕舞いを考えている。そのときには、僕の火葬後の骨を粉骨にしてかざこしやま(風越山)の登山道に散骨して欲しいと妻には話している。 ![]() ![]() 粉骨することで想い出の場所に散骨できます。 私が心をこめて粉骨いたします。 憩庵keian NPO法人種蒔く人 手嶋 敬 桐箱サイズ 11.5×14.6 憩庵サイズ 9×12 ★問い合わせ先 NPO法人種蒔く人 代表 手嶋敬 090-8351-9592(24時間受付) メールアドレス tanemakuhito@ab.auone-net.jp ※下記に金額等の明細がありますのでお気軽にご連絡ください。 粉骨・散骨・憩庵(伊万里焼オリジナル骨壺) ※ペットの粉骨はしません
※父母・娘・息子等を亡くした時に、いつまでもお骨(粉骨も入ります)をそばに置いて共に過ごしたいという方も多くいらっしゃいます。そのような方のために下記にあります骨壺もおすすめしています。そんなに大きい物ではありませんので、玄関先や居間、寝室等に置かれて共に生きることもすてきな供養の仕方だと考えます。 憩庵Keian(骨壺) (商標登録出願中) 憩庵keian(商品名)とは、火葬後に御霊が入る処です。(通称骨壷)憩庵は故人の想いを映した心のふるさとを描きます。
骨壺(憩庵)の制作 鍋島藩御用窯・伊万里焼 伊万里市の太一郎窯で制作されます。 ![]() 株式会社太一郎窯 〒848-0025
佐賀県伊万里市大川内町乙1815-2 お見積もり ※ご注文承ります。大きさ、絵柄の複雑さ等により値段が違ってきます。 ![]() 供養(追善供養)の意味を考えましょう。 現在生きている人が故人に対して命日に法事を行い、冥福を祈ることが追善供養です。 しかし、年回忌の供養が一般的ですが、供養は本来「毎日の供養」のことです。故人と共に子孫は毎日を生きていくのです。 散骨をしていつもあなたの心の中にいる大切な人を永遠の思い出として共に生きていくことも供養の仕方ですが、下記のお話のように憩庵(骨壺)を手元に置いて共に生きている家族のような供養の仕方もあります。価値観は多様であることがのぞましいことです。お墓を造り、祖先や家族の命日や彼岸に限らず、お墓を清掃し、供養のこころを表すことを生活の一部としている方もいるでしょうl 仏壇にお花を供えて日々手を合わせて御参りをし、亡き人を偲んでおられる方もいるでしょう。お墓を不要とする人生観の方も居るでしょう。輪廻転生を宗教的に受け入れている方もいるでしょう。また、そのことを否定する方もいます。また、科学的に火葬による化学変化がさまざまな原子や分子を組成し、他の物質やいのちに取り込まれることを認識している方もいるでしょう。 NPO法人種蒔く人はお墓による供養を認識しながらも、その心を憩庵Keian(骨壺)で表現し、一層深く祖先や家族を身近に感じて欲しいのです。 いのちのつながりを感謝しない暮らしには家族愛は産まれない。 殺人事件は、戦後1990年代以降は1100~1250件と、ほぼ横ばいで推移。2009年以降は1000件以下。しかし、親子、兄弟、配偶者同士など親族間殺人は2003年までの過去23年間は殺人検挙件数40%前後の推移であったのが2004年に45%に上昇。以後10年間でさらに10%近く上昇し、2012年、2013年には53.5%まで増加しました。 いのちが繋がっていることを自覚していない、先祖があって自分のいのちがあることに感謝する心が育っていない。それらは憩庵と共に暮らすことで解消できます。 ★憩庵(骨壺)は人々の日々の生活の中でどのような存在なのでしょうか。 斉藤家の暮らし 中学生になる入学式の朝でした。朝食を摂った後、智子はリビングの隣、和室に入ると違い棚の前に座りました。違い棚には病気で亡くなったお母さんが大好きだった、風にそよぐコスモスを描いた磁器が和室を見渡すように置かれていました。深さ12cm直径9㎝ほどの蓋付きの器(憩庵)です。 白地にピンクの花、緑の枝葉、そよ風に揺れているようです。暫く、(憩庵)を見つめていた朋子は「お母さんありがとう。智子は今日中学生になります…行ってきます。」とささやくとひときわ大きな声で「お父さん、行くよ。」と台所に声を投げました。斉藤家では、いつもお母さんがそばにいて家族の幸せを見守ってくれているのです。 我が家で金婚式 金婚式が済んだら北海道旅行を計画していたけれど、心不全であっけなく逝ってしまった妻。暫く滅入っていたが、子どもや孫の元気付けもあって、いくらか命の息吹を得たような気がする。 幸いにも生前妻が水仙を描いた憩庵のことを語っていたので、今は(憩庵)に妻が居り同じ部屋で酒の飲みすぎを監視してくれている。今日は、我が家で金婚式。まもなく子どもが孫を連れてくるだろう。 おじいちゃんの望み 夏休みに入った朝、達夫はバットとグローブを抱え「おじいちゃん頑張ってきます。」と声をかけて玄関を飛び出しました。おじいちゃんが逝ってしまってから、もう2年になるでしょうか。 おじいちゃんは玄関の靴箱の上、「憩庵」の中から家族を見守っています。おじいちゃんが愛した盆栽の松を描いた憩庵。朝は家族の「行ってきます」を耳にし、夕方には孫や娘婿の「ただいま」を聞くことができます。おじいちゃんは「憩庵」の中から、家族の毎日の平安を祈り続けています。 ![]() |